ナトリ株式会社130年のあゆみ

ナトリ株式会社 130周年特設ページ

ごあいさつ
130周年推移資料

ナトリ株式会社 130周年のごあいさつ・130周年推移資料

  • 「創業130年を迎えて」ナトリ株式会社 代表取締役社長 森 修
  • 130周年推移資料

創業者 名取高三郎 伝。

ナトリ電話一番ものがたり

携帯電話が普及し、固定電話の必要性が薄れてしまった時代だが、先人たちが守り続けた「電話壱番」を、ナトリ株式会社130年の歴史とともに10年後20年後も語り継いでいきたい。

  • いかに大金を積まれても手放さぬ。「電話壱番」を守り抜いた高三郎
  • 薦(こも)被りの四斗樽とスルメ
  • 「電話壱番」へのこだわり

写真で振り返る
ナトリ株式会社 130年のあゆみ

1884年の創業当時から130年のあゆみを、貴重な写真とともに振り返ります。

ナトリ株式会社 次の100年に向けて。

小樽本店 山田良次

私は現在65才、気が付けば会社に於いては最年長者になってしまいました…

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本社営業部 吉澤伸二

130周年おめでとうございます。明治、大正、昭和、平成と4つの時代に…

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札幌営業部 斉藤徳博

私が入社したのは昭和60年4月1日です。今年で29年目となります。小樽商…

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小樽本店 宮澤直孝

私が会社へ入るきっかけの一つとして、就職活動中に学校に貼りだされて…

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函館支店 扇谷清美

入社した頃は、まさか自分が130周年を迎える記念すべきこの年にも当社に…

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創業130年を迎えて

ナトリ株式会社
代表取締役社長 森 修

 弊社は明治17年(1885年)に名取高三郎(甲州出身)が縁者から小樽の金物店の経営を任されて以来、幾多の困難に遭遇するもこれを乗り越え、本年、創業130周年を迎えることが出来ました。これも偏にお得意様をはじめとするステークホルダーの皆様のご支援の賜物であり、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。

 この130年を振り返ると①明治の創業期(1885-1910年)には北海道の開拓事業と共に発展した小樽で財を成し、②明治末から第2次大戦開戦までの安定期(1911-1941年)には北海道セメント(株)(現太平洋セメント(株))の特約販売店となってセメント販売事業に進出し、③戦後の高度成長期から円高不況時までの弊社成長期(1945-1986年)には札幌に本社を移転し、セメント生コンのみならずガラスサッシや鋼材も併営する建材の総合商社として全道に販売網を展開するに至りました。その後④事業再編期(1986年以降)を経て2008年には太平洋セメント(株)の連結子会社となり、現在は札幌本社、小樽本店、函館支店、旭川支店の4事業所体制を敷き、主に旭川を含む道央及び道南地域で太平洋セメントグループの製品を主力として各種建設資材の販売を行っております。

 弊社は130年の歴史を有する老舗であると同時に2008年に太平洋セメント(株)の連結子会社として第二の創業を行った若い会社でもあります。今後も歴史に裏打ちされた弊社に対する信頼感を裏切ることなく、皆様に常にフレッシュな情報を提供し、微力ながらも皆様と共に北海道のインフラ整備に貢献していく所存ですので、引き続きご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

130年の重さと誇りを感じて

小樽本店 山田良次

私は現在65才、気が付けば会社に於いては最年長者になってしまいました。

顧みれば入社したのが昭和47年の4月、私を含めて新入社員24名、当時は金物、硝子鉄鋼商品を扱っていたこともあり全社員数が150名位、定山渓での研修を終えて名取商店小樽支店に配属され、2~3か月後に現在のナトリ(株)に社名が変わりました。

昭和48年の田中角栄総理の列島改造論、いわゆる第1次オイルショックが印象的で、1袋300円位の袋セメントが1500円位でも売れたり、鉄筋は1t3万円位が10万円以上で売れる訳で、その年は夏冬のボーナスの他に2回の決算手当を頂いてビックリしたことを今でも覚えています。

私は入社してすぐ岩内に駐在、当時の日本生コン岩内工事に机を借りての営業活動でいろんな人との出会いがあって今日があるのかなと思っています。

会社が、100年以上継続する事は大変難しいと思いますが、それが130年とは歴史の重さと誇りを感じておりますし、これまで御尽力して頂いた諸先輩に敬意を払いたいと思っております。

私はナトリが大好きです。 この会社に勤務して43年とりわけ小樽本店の小樽市指定歴史的建造物第7号は魅力的ですし、電話は1番。

又、今年は小樽市の水道ができて100年目ですが、当時は家の中の水道は珍しく調べたところナトリは12番目(ちなみに1番は岩永時計店でした)。

住吉神社の3番目の鳥居は名取高三郎の寄贈です。

むすびとなりますが、ナトリが益々継続する事を祈念し今日までお世話になった会社に感謝を申し上げ、又皆様には感動と感激を頂いてありがとう御座います。

130年を迎えて

本社営業部 営業部長 吉澤伸二

 130周年おめでとうございます。

 明治、大正、昭和、平成と4つの時代にわたり継続し、130年という長い歴史を築くことが出来たのは、諸先輩方の努力と精進のおかげであると痛感し、この素晴らしい節目に在職させていただいていることに感謝いたします。

 さて、私は昭和55年に入社いたしました。入社後すぐに旭川支店に勤務となり、社員4名というアットホームな雰囲気の支店で営業を一から丁寧に教えてもらったことを思い出します。

 当時は金物問屋の名残から、煙筒、ウェス、カラー鉄板、サッシガラス等の商品を、稚内や北見などに出張し、営業しておりました。

 4年後、札幌本社のセメント課勤務となり、社員の数は10倍以上に増え、右も左もわからないまま毎日生コンの立ち合いの日々が始まりました。

 社内では旅行やパーティーなどイベントが多数あり、活気にあふれ、チームワークは抜群。

 そして・・・人生最大の転機が訪れました。そう、この職場で私は最愛の伴侶を得たのです。

 月日の流れは早いもので、子どもたちは成人し、私は、後数年で定年を迎えようとしています。

 会社の歴史からすると、私の勤めている34年という歳月はまだまだ未熟で、日々勉強の昨今ですが、これからも元気で働きやすい会社になるよう、微力ではありますが精一杯日々の業務に努めて行きます。

ナトリ株式会社 130年の思い

札幌営業部 斉藤徳博

 私が入社したのは昭和60年4月1日です。今年で29年目となります。

 小樽商業高校を卒業し、現在の小樽本店に就職しました。その当時のイメージとして、高校の先生の話しでは小樽でも古い会社、歴史がある会社、老舗、金物の問屋さんと聞かされました。確かに、面接に伺った時は建物も古く石造りで、先生の言葉どうり歴史を感じる建物でした。

 その当時の仕事はセメント・生コンの業務で主にデリバリと伝票の作成及び電算入力。また、その当時は金物も扱っていましたので、倉庫出しも手伝っていましたが金物の商品・種類がたくさん有り物を覚えるのに大変でした。

 古い地方の得意先または金物店よりオーダーが入り、電話で話す事が多くなると得意先からも当社の歴史を話してくれました。

 当社も、昭和62年に金物を廃止し主力であるセメント・生コン関連に力を入れるようになり今日まで継続しています。その後わたしも業務から営業に変わり平成10年4月より本社営業部に籍を置いています。

 130年という歴史をみると決して簡単なことではなく山あり谷ありを繰り返し、壁とぶつかりながら奮闘し、一歩一歩先輩たちが歩んだ結果だと。また、その時その時のニーズにあった商品、または環境、新しい得意先などを経て続いてきたと思います。

 今後、50年後または100年後、それ以上も歴史を作って行きたいと思います。その答えは当社の社員は解っています、すばらしい先輩を持ち、上から伝授されているからです、未来に向かって進む事や今やるべき事にベストを尽くせば、必ず結果はついてきます。この様な思いを持ちながら1日1日を歩き続け歴史を作る一員になりたいです。

130周年を迎えて

小樽本店 宮澤直孝

私が会社へ入るきっかけの一つとして、就職活動中に学校に貼りだされていた求人情報の中で最も古く、創業明治17年という歴史にひかれ面接を受けに行った覚えがあります。

採用を受け平成9年入社で勤務地は札幌の環境開発課へ配属となり、主に景観商品の営業を約7年半担当しておりました。

その後の異動により会社の主力であるセメント、生コンや様々な商品に携わり、古くからの取引先とも接することが多くなり、会社の昔話などを耳にする機会も増えてきました。

又、現在在籍している小樽本店はナトリ発祥の地ということもあり、その歴史に触れる機会も多く、会社の前では観光客にガイドの方が説明をする場面にもよく出くわすことがあり、「歴史があり素晴らしい会社です」なんて話の中玄関に入るときは少し顔がほころんでしまいます。

そんな誇らしい130年という歴史に自分が入社してからの17年を重ねると、自分もそれを築いてきた一員だとは、今は正直自信を持っては言えませんが、これからの10年、20年後その先に自信を持てるよう、胸を張って歴史を築いた一員だと言えるよう努力、団結していきたい。そして会社が200年、300年と歴史を刻み続けることを願い、又これまで歴史を残してくださった諸先輩に心より感謝申し上げます。

130周年にあたって

函館支店 扇谷清美

入社した頃は、まさか自分が130周年を迎える記念すべきこの年にも当社にお世話になっていることは考えもしませんでした。

こんなに長く務めてこられたのも、何もわからない私に優しくご指導して下さった方々のおかげです。心から感謝の気持ちでいっぱいです。

入社してすぐのことですが、凄く印象に残っていることがあります。

それは、私の前任者のこと。

その方は私がした間違いを何も言わずにそっと直してくださっていました。
面倒だし大変なことですから当然何か言いたくなったはず。
しかし、そのことを全く知らずに過ごしていた私。
知ったのはその方が退社してからでした。
既に謝ることもお礼を言うこともできず申し訳ない気持ちが込み上げてきたのを覚えています。
それで、
「私もこういう寛大な人になりたい」
その時そう思いました。
普段心がけているつもりですが、果たして私はちゃんとできているのだろうか・・・(汗)

ところで、ここ函館支店は本社や他の支店と離れていますので会う機会が多くなく、少しさみしい支店です。
が、旅行等で会いますとそれを感じさせない程楽しく過ごす事ができます。

当社は明るく陽気(元気)な社員が多いと思います。
とても働きやすい職場です。

明るく楽しく、そしてこれからも自分が出来る事は全力で推進していくつもりです。

ナトリ株式会社 130年史 参考資料

会社沿革

歴代社長

資本金の推移

タイトル

氏名

これはダミーテキストです。記事・記事を扱う月も文章ますなことが法がなり際から、区別の記事がしことにテンプレートについて、ペディアがは色濃く作家の状態をするないた。

さて、私は昭和55年に入社いたしました。入社後すぐに旭川支店に勤務となり、社員4名というアットホームな雰囲気の支店で営業を一から丁寧に教えてもらったことを思い出します。

当時は金物問屋の名残から、煙筒、ウェス、カラー鉄板、サッシガラス等の商品を、稚内や北見などに出張し、営業しておりました。

4年後、札幌本社のセメント課勤務となり、社員の数は10倍以上に増え、右も左もわからないまま毎日生コンの立ち合いの日々が始まりました。

社内では旅行やパーティーなどイベントが多数あり、活気にあふれ、チームワークは抜群。

そして・・・人生最大の転機が訪れました。そう、この職場で私は最愛の伴侶を得たのです。

月日の流れは早いもので、子どもたちは成人し、私は、後数年で定年を迎えようとしています。

会社の歴史からすると、私の勤めている34年という歳月はまだまだ未熟で、日々勉強の昨今ですが、これからも元気で働きやすい会社になるよう、微力ではありますが精一杯日々の業務に努めて行きます。